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楽しい毎日と、あとちょっと食のお話

ろびんのお部屋です。管理栄養士なので、栄養関係の話を中心にして、仕事の話、家族の話、読んだ本の感想を書いていきます。

子どもをかわいいと思えるまで ~後編

もう秋だか冬だかわからない季節の流れですが、紅葉があわてて気候に追いつこうとしているようです。役場のイチョウがまぶしいほどの黄色に染まっています。

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光る銀杏

周りの山々はまだまだ紅葉途上の感じです。

子育てのコンセプト

昨日の「子どもをかわいいと思えるまで ~前編」の続きです。

うちでは、「子どもが小学生になるまでは親がそばにいる」という方針に決めていました。シュタイナー博士の教育論を見て、情緒面は7歳くらいまでに固まるという考え方が、自分でも体感していたので、この方針を決めました。 

七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育

七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育

 

 

はじめの一歩 

長男を生んで実家から主人と猫が待つ社宅に戻ってからが、また戦いの日々でした。

なにより赤ん坊優先で、赤ん坊が寝ている間に浅い睡眠をとっていると、起きているのか寝ているのかがわからない状態になってしまいます。

朝洗濯をした洗濯物が、主人が夜帰ってきたときに干さずにそのままだった時など、「一日家にいて何してるの!」と主人に怒られたこともあります。でもしばらく私の様子を見ていて、これは尋常じゃないということに気づいてくれて、会社から帰ってから洗濯や洗い物をやってくれるようになりました。これはほんとうにありがたかったです。

「あの頃のあなたは、こっち側とあっち側の間をゆらゆらしているみたいだったから」というのが主人の言葉ですが、確かに子どもが生まれて半年くらいまでは、いつも朦朧としていて、此岸と彼岸の間にいるようでした。

2時間続けて寝られれば恩の字で、寝ていても神経が尖っていて、子どもがぐずればゾンビのように立ち上がって世話をしていました。 半分死んでいるようで、子どもに関するところだけ、異常に鋭敏になっていたように思います。

幸い赤ん坊もいつまでも赤ん坊のままではないので、首が座るとおんぶで両手がフリーになり、家事も今まで通りにできるようになってきました。

もう一人の家族の猫も、新しく加わった変な生き物を先輩として(?)、耳をつかまれようとひっくり返えされようと、じっと耐えて添い寝までしてくれました。

(この賢い猫は長男が高校生になるまで長生きして、家族を見守ってくれました)

 

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頭が黒いのが先住猫

お乳を卒業して、離乳食になり、ハイハイができるようになって、つかまり立ちができるようになって…

育児は親にとっても子どもにとっても、初めて尽くしの連続です。

とにかく、必死で一段一段クリアしていく感じでした。かわいいかどうかなんて考えている暇はありません。大事なものを損なわないように守っていくという感じでした。

二人目  

その長男が3つになって間もなく、次男を出産しました。

こちらも陣痛が始まってから5、6時間で生まれる安産でした。

生まれたばかりの赤ちゃんの、真っ赤なくしゃくしゃな顔を見て初めて

「あーかわいい!」

と心から思いました。

1人目で一通りの過程をこなした後だからでしょうか。

こちらがとにかく死なないように必死だった時期から、意思疎通ができる時期までたどり着いた経験を得たからでしょうか。

うちに帰って1人目の子どもの心配そうな顔を見たら、これもかわいい。

ここで初めて、子どもをかわいいと思ってもいいと解放された感じでした。 

それからはもう、自分の子も他人の子もみんなかわいい!

そんな風に思えるようになって幸せです。

世界中の子どもたちが幸せになってほしいというのが、今のわたしの心からの願いです。