きょうはライフスタイルに関するお話です。
インタビューなどで、「人生の中でやり直したい瞬間はありますか?」などと訊かれていることがあります。
自分が訊かれたら、どう答えるでしょう。やり直しについて、主人と話したことがあります。
主人「無理。そんな面倒くさいことは無理」
わたし「うーん、自分で考えるとあまりないかなあ。失敗はたくさんしてるけど、それをなしにすると大事なものがたくさん一緒になくなってしまう気がする」
主人「ここまで来るのにこれだけ苦労しているのに、もう一度やり直すなんて絶対に無理。面倒くさくて死ぬ」
わたし「そうだね、ここまでくる間に起こったことって、どれか一つが変わってもまっ今のここには来られないんだよね。それはかなりいやかなあ」
主人「一つでも間違ったらルートが変わるでしょ? それを補正するためにまた何か変えるでしょ? そしたらまた違うルートになって… あああ、ややこしい」
二人とも、基本的にやり直す気はないようです。
わたし「そうだよ。もしわたしたちが一緒にならなかったら、うちの子どもたちは生まれないことになっちゃうもんね」
主人「いや、それはない。うちの子どもは二人とも私の子どもとして生まれる」
わたし「なっ!?」
主人「そういうサダメなのだよ」
わたしはこの男をどうすればよいのでしょう?
数えきれないほどの手順を踏んで、わたしは今ここにいるわけですが、ここに至る可能性の分岐の多さを考えると気が遠くなります。
すべてがいいことばかりではもちろんありません。いやなことも、つらくて死んだほうがましと思うこともたくさんありました。
でも、「じゃあやり直せるよ」と言われたら、わたしは「いえいえ、おかまいなく」と答えます。
わたしの生きる道は自分で決めたいし、後悔しようとしまいと、自分の選択を悔やんでその後の人生をしぼませてしまうのはいやなんです。
主人と過ごしてきたわたしの毎日は、とてもスリリングで、怖くて、甘くて、うっとりするようなもので満ち溢れていて、手放すことはとうてい考えられないのです。
運命を変える話だとW.W.ジェイコブスの「猿の手」が有名ですよね。それを換骨奪胎した「神々のワード・プロセッサー」というスティーブン・キングの短編もありますが、これは面白くありませんでした。
日本だと、北村薫さんがこの手のネタで3本作っています。
神々のワード・プロセッサーはもう廃版になってしまっているんですね。キングでも消えていくのか…
北村薫さんのは自分がその立場になったらどうするかをいろいろ考えさせてくれるおもしろいお話でした。