きょうの満月はワームムーンというそうです。
日本でも啓蟄という、春になって虫が土の中から出てくる意味の言葉がありますが、外国でも同じような表現があるのですね。
残念ながら雲が厚くて月は見えませんでした…
主人と知り合ってかなり長い時間が経ちましたが、毎日話すネタが尽きません。
本や漫画、ドラマや映画を観ても、感想を言い合うのはもちろん、「ここは自分ならこういう演出にする」「いやいや、ここのセリフを挟むタイミングがいいね」など、必要以上に濃いお話になります。
通勤の時に見た雲の話、壁際にいるカマキリの話、食卓に載った食材や料理のはなしなどもわたしの知らないお話を次々としてくれて、わたしもいろいろと返しています。
「大学の時、あなたの大学から客員教授でうちに来ていた教授がしてくれていた美学の授業で、私の授業を理解してくれているのはあなただけかもしれないと言われたことがあった」
「自慢? ねえ、自慢?」
「これは前ふりです。ある時、直接指名されて、ゴッホが今の時代ににいたら評価されたと思いますかと聞かれたの」
「ふむふむ」
「絵や小説やいろいろな芸術作品は、その時代によって評価が変わるから、過去の巨匠といわれるひとでも現代にいたら評価されるかどうかはわからない… みたいな答えをした」
「うん、優等生的な答えだね。でも、たぶんその逆だよ」
「ええ?」
「ゴッホは今の時代だからこそ評価されてるんだよ。ゴッホが生きていた時代の評価はそれほど高くなかった」
「そういえばそうか…」
「でも、逆にその時代では評価されなかったから、あれだけたくさんのすばらしい作品は残せなかったんじゃない? 高く評価されて、実生活が満たされたら、創作意欲はどうしても減ってしまうだろうし、社交が忙しくなって創作に使える時間も減ってしまうだろうし」
「なんでそんなことを思いつくの」
「ああ、前世はゴッホだったんで」
「シャーッ」
主人と話をしていると、毎回自分が考えてもみなかった視点を見せてくれます。それが刺激になって、またいろいろな思いつきが出てきます。
それを話すと、また別の視点を見せてくれて…
興が乗り過ぎて、翌日に影響するほど夜更かしすること、興奮して眠れなくなってしまうこともしょちゅうです。
どんなくだらない話にも真剣に耳を傾けてくれて、それに対してまたボールを投げ返してくれるような会話ができる相手はほんとに得難い存在です。
夕べも深夜まで、いろいろなところに話が跳びまくって、目が冴えまくってしまったので、主人は子どもたちがいるときによくしていたように、子守歌を歌ってくれました。
主人の歌う「五木の子守歌」を聞きながら、わたしが最後の眠りにつくときもこんな風に歌を歌ってもらえたら幸せだな… と思いつつ眠りにつきました。
「ええい、縁起でもない」
というのが、それを聞いた主人の返事です。
「その時には勝手にシンドバットかなんかを大音量で歌いまくって眠れなくしたるわ」
わたしを送ってくれる唄は、サザンオールスターズになりそうです。
きょうのブラックベリー
みるみる葉がひらいてきたブラックベリーです。
このまますくすくと生育してほしいです。