はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
きのうは結婚式のはなしを書きましたが、もうひとつ忘れられない日があります。
初めて妊娠が分かった日のことです。
結婚したばかりの頃、わたしは自分が子どもを育てられる気がしませんでした。
主人にそんな話をしたら、「子どもはおもしろいよ。しかも私とあなたの人格がミックスされて、どんなふうになるかと考えたらワクワクしない?」
それでもわたしは自分が人を育てられるような気がしなくて、大きな不安を感じていました。
「あなたは完全主義で、いい子でいたいと思い過ぎなんだよ。新しい世界に切り込んでいくのは楽しいよ。無理そうだったら私がフルサポートするから。まあ、すぐに子どもを作らなければいけないわけじゃないけど」
子どもを作ることになったのは、結婚して5年目くらい、仕事を辞めて専業主婦生活になって2年目くらいのことです。
主人はわたしがおばあちゃん子だったというのを知っていたので、祖母の体調がよくなくなってきたのを聞いて、「とりあえず初孫を見せる」というタスクフォースを立ち上げたのです。
タスクフォース立ち上げ後、3ヶ月で月のものが来なくなって、産婦人科で診てもらったら、まさかのタスクフォース成功でした。
検査のあと、診察室で先生と向き合うと
「おめでとうございます。そろそろ妊娠3ヶ月くらいですね」
あ、ドラマとかでよく見るシーンだ。
なんか現実感がありません。
こんな感覚で大丈夫なのでしょうか。
超音波検査(エコー検査)で、お腹の中の様子を白黒映像で見せてもらいました。
「ここ、この豆粒みたいのが胎児です」
ほんとに小さい、豆坊主みたいなものが見えています。
でも、画面を見ていると、それが一所懸命動いているのが分かります。
動いているのを見ているうちに、胸に迫ってくるものがありました。
母親の実感とか母性本能なんていうものじゃなく、ただ「本当に生きているんだ…」と実感したのです。
この時、わたしは「この子を産みたい」と心から思いました。
妊娠してから出産するまでを振り返ってみても、はじめて動いているのを見た時の方が、出産のときよりドキドキと喜びがありました。
出産当日は感動している暇などかけらもなく、とにかく
「はやく終わってくれ!」
という気持ちの方が強かったので…
さて、その後つわりや体重増加、やたらお寿司が食べたくなる病とか、いくら寝ても眠い状態など、どんどん変化していく自分の身体をもてあましつつ、お腹の子とフルタイムで付き合って、無事赤ん坊と対面することができました。
初めての出産の不安から、実家で里帰り出産をしました。
実家近くの病院に転院したとき、担当の先生に
「性別をお教えしましょうか?」
と言われたのですが、大変であろう出産のあとのご褒美として、教えてくれないようにお願いしました。
主人が、「前もって知ってしまったら、せっかくの楽しみが半減してしまうじゃないか」とほざいており、わたしも同じ考えでしたので。
1人目の子は故郷で雪が降っているときに生まれてきました。
とても小さくて、ちょっと間違ったら大変なことになりそうで、くしゃくしゃで赤いので、「なるほど、それで赤ちゃんと呼ぶのか」と納得しました。
出産直後は平常心をほとんど失った状態ですので、いろいろおかしなことを考えていた気がします。
そうそう、例のタスクフォースは、結局成功できませんでした。
子どもの生まれる1ヶ月前に、おばあちゃんが亡くなってしまったのです。
わたしたちの家を守っている主人におばあちゃんの訃報を伝えたら、絶句した後、
「あともう少しだったのに... あなたのことが大好きなおばあさんに、あなたの子どもを見せたかったな」
その後、おばあちゃんのお墓参りをしたときに、主人が妙に長く手を合わせていました。
「長いお参りだったね」
「どうしてもう少しがんばってくれなかったんですか、と責めてた」
「しょうがないじゃない、そんなの」
「〇〇が大事にします。子どもも絶対しあわせにしますから、まずいところがあったら祟ってください、とお願いした」
「祟ってくれって... 何よ、それ」
「私がボケなら祟られた方がいいでしょ。まあ、そうならないようにするから」
わたしも祖母に、(わたしは大丈夫です。きっと幸せになります)と祈りました。
今も私たちが祟られていないのは、たぶんそういうことなのでしょう。
後日談 その1
「エコー検査するときに、胎児が元気に動いているのが見えるでしょう? あれはね、超音波が当たって不快だからあばれているんだよ」
のちに2人目の出産で診てもらった産婦人科の先生からお聞きしました。
エコー検査、赤ちゃん自身はいやだったのね…
後日談 その2
初めての妊娠が分かったとき、主人は花束とメロンを買ってきてくれました。
ときどき主人はそういう酔狂なことをするのです。
いつもじゃないから、妙に効果的だったりします。
ただ、ずっと後になって、またわたしの誕生日に花を買おうかなと思いついたらしいのですが、いざ花屋さんの前に行くと、入ることができなかったそうです。
「あの時は若かったからできたのかもね」
男の人には花屋さんの敷居は高いのですね。
後日談 その3
性別は不明なので、「河太郎」と仮名をつけて呼んでいました。
なんとなくの河童です。
主人が命名したのですが、「あなたの故郷は妖怪の宝庫だから」というのが理由だそうです。
ふざけています。
出産までの間に、本名(?)を考えたのですが、男名はひとつで、女名はいくつも挙がりました。
生まれてきたのは男の子でした。
やはり男の子だと感じていたのかもしれません。
もちろん、そのひとつの名前をつけました。
後日談 その4
2人目を妊娠した時も、生まれるまでは性別はふせたままにしようと決めていたのですが、長男を連れて産婦人科の健診に行ったとき
「お兄ちゃん、君に仲間ができたよ。弟くんだよ」
ええっ!
とってもさばさばして、腕もいい先生だったのですが、これはショックでした。
きょうの雲
雲が多く、不安定な空模様でした。
朝のうちは、黒雲が目立っていました。
いつの間にか黒雲が消えて、陽が照る暑い日になりました。