久しぶりに本の感想です。
「母の待つ里」という浅田次郎さんの作品を4日間かけて読み終えました。
ふるさとで一人で暮らしている母のところに、60を過ぎた男女3人がそれぞれ帰っていく、という表題通りのおはなしです。
ネタバレなしだと、こんな書き方しかできません。
読むひとによって捉え方がずいぶん違うと思います。
でもたくさんの人に読んで、いろいろな感想を持ってほしい作品です。
3か月前に91歳の父を亡くして、5年ぶりに帰省したわたしにとっては、実体験に近くてのめり込んで読んでしまいました。
さらにこのふるさとの舞台になっているのは、わたしの生まれ故郷の岩手です。
バンバン出てくる方言の嵐に、
「読んでる人、この意味わからなぐねえ?」(なまっています)
と突っ込みが止まりませんでした。
第一章では、有名企業の社長である男性が、東北新幹線とローカルバスを乗り継いで、40年ぶりに母のところに帰っていきます。
のどかな風景と素朴な田舎のひとたち。
87歳になる母親が、古民家の囲炉裏で、地元の食材で作った料理を並べてもてなしてくれます。
男性だけではなく、読んでいるこちらもすっかり帰省した気分になっていくのですが、ふるさとの駅に降り立ってから、なんかずっと違和感を感じます。
章の最後まで読むと、その違和感の謎が解けます。
…これって、ホラー?
この一章だけでも、短編の良質ホラー小説といっていいかも。
第二章では定年を迎えて、妻から離婚された男性が帰省するはなし、次の章では
仕事を辞める決心をした女性医師が帰省するはなしと続いていきます。
ホラー?それともファンタジー?
と読み進めていくと、どんどんリアル寄りのはなしになってきました。
「ふるさと」はリアルではなく、概念としてあるもの
わたしのふるさとは岩手だけど、住んでいたのは盛岡というある程度大きな都市で、いわゆる「田舎」とは違っています。
でも「南部曲がりや」をみると懐かしい気分になります。
TVで岡山の山並や北海道の風景をみて、「いつか来たことのある場所」と思うこともあります。
「ふるさと」は誰の中にもある概念なのかな、とこの小説を読んで改めて思いました。
ネイティブ方言を操る作者のすごさ
作者の浅田次郎さんは、「壬生義士伝」など南部藩を扱った時代劇で、ネイティブな岩手弁を使いこなしている印象がありました。
でも、現在を舞台にしたこの小説では、さらにそのすごさが伝わってきました。
「おがめねぐ。禅寺てば昔っからスリッパだらねのす。掃除は禅坊主の勤めだば、どんどおがめねぐ」(本文より)
ふるさとを離れて久しいわたしですが、電話で母と話すと、イントネーションを思い出して普通に岩手弁を操ることができます。
この小説を読んで、「方言は耳だ」と思い至りました。
字面をみてもすぐ意味がとれないことも、音読してみると文章をどこで切るのか、どこを伸ばすのか、音の高低はどうなのか、分かります。
上の文も「おがめーねく(おかまいなく)」とすんなり読めました。
「妙(ひょん)たな子だなっす。そんたなもの、いづだって食(け)るべや」(本文より)
作者はそのままでは分からない方言に漢字を当てて、意味をとれるようにしています。
これもすごい。
「ひょんたなこ(変わった子)」の意味が分からなくてもなんとなくニュアンスが伝わってきます。
小説の筋とは全然関係がないのですが、自称じぇんごべん評論家(?!)としては書かずにはいられませんでした。
最後に、各章の最後に「母」が語り部として語る昔話があります。
これも全部読んでから、
「ああ、こういう仕掛けだったのか」
と納得させられました。
作者の手の上で転がせられるのも楽しいです。
この夏この小説を読んで、里帰りしてみてはいかがでしょうか。
ぜひお勧めします。
価格:825円 |