はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
きょうは曇り気味ですが、暑さはあまり変わりません。
晴れた日よりも暑さをより強く感じてしまいます。
本当にたくさんの忘れられない日がありますが、やっぱり未だに時々顔を出してくるのが自分の結婚式の時の記憶です。
主人も私も会社員だったので、結婚式をするのが当たり前の時代でした。
少しでも早く結婚したくて、けっこうギリギリのスケジュールを組んで、忙しく調整しました。
忙しいのは自業自得ですが、招待する人を選んだり、いろいろなプランを考えたり、衣装を選んだりするのは、たいへんでも楽しかったです。
それと並行して新婚旅行の手配やいろいろな事務手続き、新婚旅行中の仕事の前倒し処理などあれよあれよという間に時間が過ぎて、気が付いたらドレッシングルームで白いドレスを着ていました。
結婚式の日
メイクさんの手で白いのを塗られて、まつ毛に黒いのを盛られて、自分なら絶対使わない真っ赤な口紅を塗られて、見たことのない自分が出来上がっていくのを、まるで他人事のように眺めていました。
どうやら完成したらしく、主人が呼ばれて紋付き袴で入ってきました。
「奥さま、おきれいでしょう」
主人はにっこり笑って会釈して、近づいてきて、笑顔のまま小声で言いました。
「何ミリ盛られたんだよ。途中で止めてもらうことはできなかった?」
「無理に決まってるでしょ。何度も薄めにってお願いしてこれよ」
私も小声で返します。
「まつ毛もこってりと塗られて重そうだよ」
「重いのよ。ついでにかつらも重いし、着物もきつくて呼吸もできなくらいだよ」
「ふむむ… こちらは和服でも全然きつくない。きれいに装うのは大変なんだね」
「他人事だと思って… しっかり着付けると、和服ってほとんど身動きできなくなるんだよ」
「こっちはチャチャっと着せられて、メイクもヘアセットもなしで手持ち無沙汰なくらいだよ。なんかあまり大事にされてない感じだな」
「よろしいですか、そろそろお式が始まりますので、ご移動をお願いします」
式は神式を選んでいたので、神主さんの前で言葉のない誓いを行いました。
これまでおはなしでしか聞いたことのない三々九度の儀式などするときは、かなり緊張しました。
披露宴にて
控室に戻り、何か手持ち無沙汰な時間を過ごしていましたが、式場の方が案内にみえました。
「ご主人さま、よろしいですか。そろそろお客さまの迎え入れが始まります」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
主人は笑顔で答えて、こちらをちらっと見て(がんばれ)と口を動かして出ていきました。
私はもうしばらく待ちです。
もう披露宴は始まっているのでしょうか。
わたしにそれを知るすべはありません。
式場の男性スタッフが、扉を左右にバーンと大げさに開いて、
「花嫁の入場です!」
とやってくれました。うわ、恥ずかしいと思いながら父に手を取られて歩み出しました。
会場の中は暗くなっていて、何がどうなっているのかわかりません。
なんか自分たちにスポットライトがあてられています。
まぶしいし、なんかわからないし。
正面に主人がいます。彼もスポットライトをあてられて、少し居心地悪そうにしながら、こっちを見て少し微笑んでいます。
ウエディングマーチに合わせて、半歩ずつ主人のほうに近づいていきます。
(うわ、うわ、うわ)
こういうのは滅茶苦手です。羞ずかしいです。こんなことなら絶対に結婚式は拒否するべきだった。
会場が暗いので、来てくださっている方たちの顔が見えないのがせめてもの救いです。
必要以上にゆっくりと近づいて、主人が手を差し伸べ、わたしがその手を取ります。
二人で並んで立ち、来てくれた方に頭を下げます。
隣に主人がいます。
それぞれに関わってきた人たちが祝福してくれています。
この時に、これまで結婚に対して、「二人で一緒に暮らせる、ワーイ」レベルの思いしか持っていなかったのが、これからは二人で一緒にたくさんの責任をもって、社会に出ていくのだという意識に変わった気がします。
演出とかはいろいろあるのですが、そんなものよりももっと大きく胸に迫るものがあったということは、結婚式と披露宴をやってよかったと思えることの一つです。
痛恨の富士山アイス
結婚式はいいこともたくさんあったのですが、一つだけ、とんでもなく悔しいことがあります。
出された食事にまったく手をつけられなかったことです。
本当に、まったく一つも口に入れることができませんでした。
一つには、その頃の私が、みんなに注目されている中で食べるのができないくらいには、うぶだったという事実があります。
もう一つは、大勢の人が話に来てくれたので、お相手をしながら口に物を入れることが失礼な感じがしてできなかったのです。
本当にうぶだったなあ、あのころ…(遠い目)。
仲人さんの奥さんが気が付いて、ジュースにストローを差して渡してくれたのですが、これにも口をつけることができませんでした。
そして痛恨の極みは、デザートに出てきた富士山アイスを食べられなかったことです。
主人がお友だちの結婚式に出たときに、デザートに富士山アイスなるものが出て、それがおいしかったという話を聞いていたので、これはぜひとも食べてみたくて、デザートはそれを選んでいたのです。
でも式の段取りの都合で、わたしは富士山アイスが配られる、まさにそのタイミングで一度退出することになっていたのです。
(ああ、わたしの富士山アイス…)
断腸の思いを込めて、わたしは会場を後にしなければなりませんでした。
この後、誰かの披露宴で食べるチャンスもあるだろうと思っていたのですが、わたしの友人は結婚しない人が多く、ただ一人結婚した人も披露宴なしだったので、富士山アイスもなしでした。
こんなことになろうとは、結婚式で涙を流した当時は思いもしませんでした。
結婚式が終わって
そして入籍の手続きが遅れて、入籍日が結婚式の日と違った日になってしまったのが結婚狂騒曲の落ちとなりました。
これがこの後の二人の結婚生活を象徴しているような気がしなくもありません。