主人の母のところから、今日自宅に帰宅しました。
お母さんと主人とわたしの3人で、たくさん話をしまくってきました。
とにかく、元気そうだったのでよかったです。
さて、この前ヒジキの話をしましたが、ここ20年ほどの間で食に関して変わってきたことが山ほどあります。
特に印象に残っているのは、こんなことです。
- 「米を研ぐ」という言葉が家庭科の教科書から消え、「米を洗う」という表示に変更される。
精米技術の向上や無洗米の登場で、「研ぐ」と米が割れたり、栄養分まで流れ出てしまう恐れがあるので、「洗う」というソフトな表現になりました。
- 定番の調理器具が家庭から消える。
すりばち、すりこぎは場所をとるし、それを使った和え物系の料理も手間が掛かるので減っているようです。
それに擂ったり潰したりしなくても、「ごま和えの素」的なものはあるし、お惣菜を買えばそれで済みます。
料理ではないですが、「きゅうす」が家にある家庭も少なくなってきました。
ペットボトル飲料を買えばいいという考えのようです。
- 調理の説明の言葉が、今の生活に合わなくなってきた。
これは料理講習会や印刷媒体掲載用のレシピ作成を15年以上続けてきた中で、ひしひしと感じました。
たとえば鶏のモモ肉を調理しやすいように整える作業があると、
「モモ肉を観音開きに切り開く」(旧)
「モモ肉を厚さが均一になるように切り開く」(現)
現代で観音開きというと、仏壇ぐらいでしょうか?
仏壇もどこの家にでもあるものではないですしね。
あと「鉛筆を削るように切る(ごぼうをとか、オクラのヘタをとか)」
も今は50歳以上ぐらいでないと、通じません。
今の子ども達は刃物を使う経験が少なくて、子どもクッキングでも包丁を使って皮をむく作業を教えるのに、本当に苦労します。
親指を使って、刃を押さえたり、刃を滑らしていく感覚がうまく伝えられないのです。
時代の流れと言えばそれまでですが、きゅうすやすりばちが消えていくのは寂しい限りです。
子どもクッキングでは積極的に、すりばち、すりこぎは使うようにしているのですが、子ども達はそれらを使うのと大喜びします。
体験として子ども達の中に残ってほしいと願っているので、これからもどんどん使っていこうと思っています。
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使わないですかね、すり鉢とすりこぎ。おもしろいんですけど。
朱泥の急須。美しいと思うんですが。